高山祭
日本の数あるお祭りの中に「日本三大美祭」と呼ばれる祭りがあります。
「京都祇園祭」「高山祭」「秩父夜祭」です。
今回は岐阜県の「高山祭」に行きました。
毎年、高山では春の日枝神社の「山王祭」(4月14日と15日)と、秋の桜山八幡宮の「八幡祭」(10月9日と10日)の2回あります。
この祭りの起源は、1585年~1692で300年以上の歴史を持ちます。
祭りの山車(だし)を高山祭では「屋台」と呼びます。屋台が用いられたのは1718年(享保3年)の頃だそうです。地域の班で屋台を保持しますが、保持するためには多額の費用が掛かります。旦那衆と呼ばれる豪商が中心となり屋台の修繕に多額のお金を出し、屋台造りの工匠たちに技を競わせ、どんどん豪華絢爛になったそうです。
もともと岐阜県は、山と川に囲まれた自然豊かな地域です。山が多い分、年貢を納める作物が育ちにくく、建築や工芸など技術で貢献するようになり、飛騨・高山の匠の技は発展しました。
こうして屋台は重要有形民俗文化財となり、世界から注目されるようになり「美祭り」として世に認知されるようになりました。
飛騨の匠の技が結集された豪華絢爛な屋台は高山の誇りとして、伝承されています。
10/9の朝、新幹線で品川を出発し高山駅に13時頃到着しました。
先ずは一宮の水無神社へバスで向かいご挨拶しました。
宿で夕食をとった後、再び高山のお祭り会場へ繰り出し「宵祭」に参加しました。「宵祭」ととは、10/9の夜だけ行われるもので、屋台11台が町を一巡し、見物客は道路を挟み、提灯に灯された幻想的な屋台の「曳き廻し」とを静かに見送ります。
お祭りというからには賑やかなイメージでしたが、高山祭りは静々とした感じでした。平日だったので、それほどの混雑は感じず、外国人の数の多さに驚きました。
翌日は、昼の高山祭を見物するため、高山駅付近から桜山八幡宮へ向かいました。
桜山八幡宮へ向かう宮川沿いの道は朝市で賑わっていました。
「宮川朝市」は日本三大朝市の1つともいわれています。高山市を代表する観光名所でほぼ毎日行われています。
この旅は、お祭りのことしか意識していなかったので、買い物好きな私はこんな充実した朝市があることを知りワクワクしました。地元の新鮮野菜や民芸品などの買い物を愉しんだり、地元のひととの触れ合いも楽しみの一つです。飛騨弁を聞くのも心地良かったですが、殆どの方が英語で対応していたのに驚きました。
なんといっても飛騨牛の串焼き、お寿司、飛騨牛まんや、みたらし団子が人気でした。
出店の向こう側には宮川という川が流れ、河川敷にはのんびり散歩する人たちがいて柳の枝が気持ちがよさそうに揺れていました。京都の鴨川の風景によく似ています。
脇に入る小道にもお店がぎっしり並び、城下町らしいたたずまいで、日本の美を意識した街並みでした。
どこをとっても絵になります。
こんな調子であるいているので、桜山八幡宮への道は最高に楽しかったです。
八幡宮は祭り見物で大賑わい。「御神幸」と言って、神霊が宿った御神体や依り代などを神輿に移して、鎮座する神社から氏子地域内に御幸することです。
伝統の衣装を身にまとった一行が練り歩きます。大名行列を彷彿とさせ、江戸時代にタイムスリップした感覚になりました。
一体どれだけの町民がこのお祭りに関わっているか、その力の入れように圧倒されます。
昼は「屋台曳き揃え」といって、屋台をじっくり鑑賞できるチャンです。11台の屋台はそれぞれ違ったデザインでできています。代々班に受け継がれ、大切にされている国の宝でもあります。工具、漆、織物、彫刻、人形など施され、匠の技がうまく調和された屋台は、人間の技を神に喜んでもらう伝統芸術の発表の場です。
毎年、高山祭は春か秋のどちらかは、必ず雨が降るそうです。雨が降ったらお祭は即中止です。大切な屋台が少しでも濡れたら大変だからです。
この日は曇り空で怪しい天気だったので、誰もが降ってきたら直ぐにカバーをかける準備をしていました。
当然のことですが、とっても大切にしている様子がうかがえました。
子どもたちは屋台に乗ることができます。どの屋台にもかわいい子供たちが乗りうれしそうに手を振っていました。いつかはこの子供たちが、高山祭を受け継ぎ、こうして伝統は受け継がれていくんだなと思いました。
お祭は神に日頃の感謝を込め、喜んで頂くためにあります。たくさんの人が集まり、町も活性化するものです。どの人も笑顔、笑顔、笑顔・・・
高山祭は掛け声、踊り、歌などはありませんでしたが、心温まる壮大なものでした。
沢山の外人さんに喜んでもらえ、自分の地元ではありませんが日本人として誇らしく思いました。
お祭は伝統を引き継ぐ素晴らしい仕組みです。
他のお祭りも体験することで、その土地の風土が感じられると思うので、他のお祭りにもとても興味が湧きました。
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